たまには、過去の自分に、嫉妬してみる。
自由の代価は、 自分で払わざるを得ないんだよ。 自由だけ謳歌して、 そのツケを人に回すことはできないんだよ。
面倒だからといって、それが愛だとは限らないけど、 面倒なことから逃げ回っているうちは、きっとそれは愛じゃない。
どうせ、とか、 所詮こんなもの、とか言って、 片付けようとしていることは、 まだまだ詰める余地があるよ。
言い訳はしたくないって、 一見、潔く聞こえるけど、 言い訳が必要な状況を、 クリアできてないだけだったりする。
小さい場面、小さい場面では、優しいけど、 トータルな結果が優しくない、 というのが、一番タチが悪い。
またね、 と言って別れられることのありがたさ。 次はいつね、 と言わなくっても、 必ず会えるという確信を根底にこめることができるありがたさ。
自分のだらしなさを、 価値観の相違にすりかえてやしないかい。
愛される側はいつだってうらやましい。 けど、愛するたのしみだって、あるじゃないか。
優しくて、いい人で、癒しているだけじゃ、飽きられちゃうよ。
一匙の風刺なら読めるけど、 分厚い風刺の書には食傷してしまう。 抉っただけで終わらず、 そこに盛られたものを見たいから。
うらやましい、 私にも、 という意味で、 ずるい、 という言葉を、 使うことを、 認めたくない。
誰もがみな、 理由を告げて、 立ち去ってくれるほど、 親切とは限らない。
愛情も友情も、 ピーク時を真空パックして、 持ち歩けたらなあ。
梨のつぶてには、 いつまで経っても、 慣れない。
食欲、性欲、睡眠欲、本読みたい欲、肯定されたい欲、遊びたい欲、どきどきしたい欲、お酒飲みたい欲、知らない人と知り合いたい欲、楽しいこと企みたい欲。
最後に残るのは、 美味しいものを一緒に食べにいくとか、 そういうことだったりする。
たとえ、 放射能にまみれた黄砂が、 ふってくるとしても、いま話す言葉を話して、 いま住む場所で、 いま縁のある人たちと暮らしたい。
頭の中を占めることを、選べない。 気がついたら考えていること/人が、 大事なこと/人だと、思い定めて。
メールが全く届かなくなった時、 切られたと落ち込むか、 死んだんじゃないかと心配するかの、 境目はどこにあるんでしょうね。
聞いてないというだけで、 つっぱねてしまうのは、 もったいないと思うよ。
そんなつもりじゃなかったと言えば、 すべて許されると思ったら大きな間違い。
不義理されるのはまだいい。 不義理してしまうのはせつないから。
節約するために節約してない? 貯金するために貯金してない?
どこまでが節約で、 どこまでが貧乏くささなの?
球をなげて、 かえって来るまでの間、 どきどきしながら、 待っている時間が好き。
自由であろうとしすぎるという枠に、 はまってしまうのもまた不自由。
マッサージされてる二時間は、 なんであんなにあっという間なんだろう。
たあいないおしゃべりにも、 たあいなくない効果がある。
おたがいに、 わかってると 思っていたというだけでは、 伝わらないよね、 言葉が足りないよね。